京都府知事 山田 啓二
 
 台風23号の被害を受けられた皆さんに心からお見舞い申し上げます。京都府では、今も全力で復旧の取り組みを進めています。台風で倒れた天橋立のシンボルである松を様々な形で活用し再生を目指そうとする皆さんの取組は、地元に夢と希望、勇気を与えるすばらしい運動です。名松リバースの面白いアイデアが集まり、全国からも注目される新しい天橋立の魅力が創造されることを期待し、京都府も応援します。「がんばれ天橋立」
 

 
社団法人 京都府観光連盟会長 柏原 康夫
  京都銀行 取締役頭取  
 
 何かの本に「あきらめない限り負けはない、とにかく前へ進め」という言葉がありました。
 台風23号によって倒れた天橋立の名松を、「名松リバース」を合い言葉に、モニュメントやアートとして新たな息吹を吹き込み、復興のシンボルとして生まれ変わらせようとの取組を聞き、大きな勇気を頂いた思いが致します。
 まさに「ネバーギブアップ」、耐えてなお夢を追うひたむきな姿こそが、災害復旧の最大の原動力となることを信じてやみません。
 

 
「新たな生命の誕生」
作家 藤本 義一
 
 昨年の十月二十日、台風23号で新幹線(大阪〜東京)で13時間半、車内に閉じこめられた。為す術もない時間だった。
 その間に天橋立の名松・大木 193本が無惨に倒されたのを改めて知った。
名木もまた為す術もなかったのだろう。
 その倒れた名松の幹を活かす運動が展開されていると知った時、私は満たされた思いを覚えた。“名松リバース”いい名称だ。
 新たな生命を得た名松は甦ってきたのだ。
 

 
作家 難波 利三
 
 天橋立の主役は松です。美しい松林があってこそ天橋立です。眺めてよし、歩いてよし、遊んでよし。松風、潮騒、白砂の創り出す空間は天橋立ならではの心安らぐ世界です。
 この度の災害はそれを再認識させるために、天が与えた貴い試練なのだと、前向きに受け止めましょう。再生は重大な責務であり、後世へ繋ぐ希望の証でもあります。地元が一丸となって情熱を燃やして取り組めば、名勝の名松は必ず蘇るでしょう。頑張って下さい。
 

 
「禍いを転じて福となす」
服飾評論家  
日本和装飾会会長  市田 ひろみ
 
 自然が何百年も、何千年もかけて作り出したのが「天橋立」だ。
松並木が海の中に数珠のように連なる風景は、私達、京都に暮らしたものにとっては原風景だ。しかしそれは、京都人だけの財産ではない。長い天橋立の歴史の中には、災害に傷つけられた年もあっただろう。でも23号台風の爪あとは、今、生きる私達が「禍いを転じて福となす」努力をせねばならない。倒れた松を新しい生命でよみがえらせよう。
 

 
天橋立は私の誇りであり、心のよりどころ
作家 山ア 洋子
NPO「ハマには浜を!」理事長  
 
 昨年、横浜に砂浜を取り戻そうというNPO「ハマには浜を!」を横浜の仲間達や元漁師さん達と一緒に立ち上げました。砂浜といえば天橋立。メンバーにぜひ見せたい、近いうちに見学会を、と思っていた矢先に、あの台風でした。生まれ故郷の海と砂浜は、私の誇りであり心のよりどころでもあります。美しく価値のある日本の自然をこれ以上なくさないためにも私達はあきらめてはなりません。皆様方と心を共にして、私も微力ながら、できることを精いっぱいやっていくつもりでおります。
 

 
人と防災未来センター長 
京都大学防災研究所巨大災害研究センター長・教授 
環境防災総合研究機構 理事長 河田 恵昭
 
 2004年は大災害の年であった。上陸した10個の台風と集中豪雨、新潟県中越地震などの被害からの復旧・復興ではあらためて、何か価値のあるものであり、何を後世に残さなければならないかということが問われている。そこで、私たちが誇りとする文化が消失すれば、将来の『夢』や『希望』もなくなってしまうだろう。
 あの自然が織りなす不思議な過程で形成された「天の橋立」は私たちのこころの「ふるさと」である。松の緑、海の青さ、砂の白さ、吹き抜ける風や砕ける波の音、そして透き通った空気・・・・・。私たちが大事にはぐくんできた文化のルーツがそこにある。暴風で折れた名松の復活は、同時に私たちの文化の再生と創造の仕事なのだ。

 
京都府文化博物館館長  
前京都府知事荒巻 貞一 
 
 未曾有の風害にめげず「天橋立名松リバース実行委員会」を立ち上げ実行に踏み出される皆様の決意に心からの声援と感謝を申し上げます。私は知事在任の折、皆様と共に松喰虫からの保全、流砂の防止、交通、観光資源の整備に努力した日々を懐かしく思い出しております。今は前向きに、これは樹の生命の新陳代謝が少し早く来た。それを円滑に助けるのが、住民の責任と楽しみの気概で活動して頂ければ心強い限りです。

 
天橋立名松リバース実行委員会設立に当たり
元 法務大臣 京都府知事 林田 悠紀夫
 
  海の中に延々として伸びる自然の橋、その上に天をめざしている松の樹々、こんな自然の橋梁は他所には見られない。日本三景の一と唱えられ、古来天の浮橋と称される我等の天の橋立が、2004年10月20日の台風直撃によって破壊され、樹齢三百年を超える老松は悲鳴を上げてなぎ倒された。地元の人達は敢然と起ち上り、天橋立名松リバース実行委員会を立ち上げ、復旧活動を開始された。我等も及ばず乍ら呼応しなければならない。

 
歴史家 門脇 禎二
 
元京都府立大学学長
 この小文執筆のお誘い文に、感動いたしました。
 天橋立の恩恵をうけ誇りにしてきた方々が、倒れた老名松の怒りと教えを聞き取ろうとする敬虔なお気持ちにうたれたからです。リバース事業への情熱は、この心に根ざすのでしょう。
 建築文化財の改修には、古い用材をなるべく遺しながら新材を用いるのが常道です。まさにその゛新材″にも、倒松は転生される。
 現地でも各地でも名松の再生。それは、観光事業の在り方にも新例を拓くものでしょう。
 

 
天災に届することなく、前向きに活動を
画家 斎藤 吾朗
 
 拝復
 天橋立名松リバース実行委員会のお手紙を拝読し、あらためて御地の被害のひどさに驚いております。アート&クラフトフェアの審査でお邪魔して以来、様々なご縁を頂き、天橋立とその周辺に住む皆様に深い親しみを感じています。それだけに何とかしなければの思いは、御地の皆様と全く同じです。既に色々な人に協力を要請していますが、私個人としましても、天橋立再生の版画を制作し、チャリティで販売し義援金をつくりたいと思っています。(松の板に版画を刷ることも可能です)様々な分野の人々とでかけて、創作的な協力ができればと考えています。
 私も昭和34年の伊勢湾台風で、全壊の家の下敷きとなり、身体こそ無事だったものの、全てを失いました。でも台風に対する怒りはなく、むしろ凄いエネルギーと感動しました。天橋立の皆様も天災に屈することなく、前向きに活動を始められたご姿勢に共感しています。一緒に頑張りたいと思います。        敬具
12月24日
 

 
天橋立、遙かに
山口治子(作家山口瞳氏の奥様
作家 山口正介
 
 父(山口 瞳)が愛した「天橋立」
 台風被害のことは、遠く東京も西の外れの我が家でも、母子共々、心配しておりました。
 植林は百年、二百年の大計です。再び、清々とした新緑に橋立が彩られるといいですね。
 倒れた老木、大木を記念に活用ということですが、その木材で供養のお堂か小さな祠でも建立されたらいかがでしょうか。
 関係各位様のご努力を思い、頭が下がる気持ちです、ご健闘をお祈りしております。
 

 
「よみがえれ!橋立の松」
フリーアナウンサー 桑原 征平
 
 昭和30年、小学校臨海学校は天の橋立。SLのススで真っ黒になった小学5年の私。橋立の美しさに胸がふるえた。青い海とどこまでも続く松林の道。あの橋立の美しさの衝撃は定年を迎えフリーアナウンサーになった今も消えません。
 あの私の心のふるさと、橋立の松が200本近く倒れたなんて...。自然はなんとむごいことをしてくれるのでしょう。でも心配はいりません! 名松リバース実行委員会の皆さんは、毎日文殊の神様と共に生活している人ばかり。西日本最高の重曹泉を掘り出し、天橋立温泉の良さを全国に知らしめた凄いメンバー。きっとやってくれますし、それを我々はお手伝いしまっせ!
 

 
「また 見とうおます」
落語家 桂 福団治
 
 正月が近づくと「師匠、天の橋立に連れて行っとくなはれ」多くの若手落語家が言う。今では恒例と成った文珠荘での「新春名人寄席」。 桂春団治、桂文枝師匠等、出演して大阪でも好評なのだ。
 ある落語家が「師匠、文珠荘の舞台の前に、あの日本一の“双龍の松”を眺めながら言いましたな。『ここまで成るのには幾度の風雨と年輪を積み重ねてきて、今では訪れる人の目を楽しませてくれる日本一の松と言われるようになったのや。君もあの松にあやかって、名人になるのだぞ』と言うてくれたの思い出します。またあの松を見たくなりましたんや」 私はどう答えたらよいのか・・・・・・・・・・
 

 
「災いの後の快挙」
作曲家 三和 完児
 
 長大なる砂嘴と潮風にその枝を舞わせた老松群との調和は、悠久なる大自然の正なる所産だった。先人雪舟はその畏敬すべき景観を、見事な描写力によって後世にに伝えた。
 無慙にも台風23号は、その松影を消し去った折しも、『天橋立名松リバース実行委員会』が立ち上がったことは、恰も未来の代替り名松群が立ち上がったものと見て取れます。
 イザと言うときに知る本来の姿であり、災の後の快挙といえます。国民的賛同と共に。
 

 
「天ノ橋立の松」
旅行作家の会代表 野口 冬人
 
 天ノ橋立にとって、松は宝物である。宮津湾と阿蘇海を区切って、ぐーんと延びた砂嘴の景観を彩る松の並木があってこそ、日本三景の一つにたたえられる天下の景勝が生きてくる。その松が先の23号台風によって、折れたり、倒されたりの、多大な被害を受けた。その復旧に地元では全力を上げている。これは私たちも出来る範囲の応援をしたい。さらには倒れた松の生きた再生には、いろいろなことが考えられる。そのアイデアを広く全国に募集して、のちのちに残すことも地元では考えていると聞いた。皆んなで知恵をしぼって、松のいい作品が生まれることを期待したい。
 

 
へこたれないでくださいね
旅行ペンクラブ代表幹事 藤獄 彰英
 
 予想以上の被害だったこと、実は、関西の大阪にはほとんど知らされておりませんでした。他の(新潟など)の報道が99%でしたから。で、驚いているのです。旅行ジャーナリストのわが集団でさえそうですから、一般にはほとんど知らされておりません。
 が、いま、そのことを云々していてもしょうがない。
 利用法は、公共の看板、案内板等がベターでしょうね。
 いずれにしても、事実をシンプルに書いてあることが、メモリアルなものとして価値を発揮します。つまずきの石は、起きあがりの石なのです。
 余った小さいものは、客に買ってもらって、天の橋立のお守りか、旅の思い出として、各家庭に飾ってもらうのも悪くないでしょうね。
 相つぐ災害は、招かざるものといいながら、いつか必ずやってくる国なのです。
 みんな、それをのりこえて今日があるので、へこたれないでくださいね。
 

 
作家 西村 梛枝
 
 〈 松籟 〉という名馬が私の学校におりました。頭がよくて力があって、なおかつとてもかわいい馬でした。天橋立の凛とした松並木を歩くときこの名馬を思い出すことがありました。天橋立は「松籟」と言いたくなる風の音を聞くことの出来る松並木だったからです。
 自然の大きな力の前に命を終わらざるを得なかった松たちでしょうが、命は、語る人があれば連綿として続くと思っています。  私たちの生を語り続けたいと思います。
 

 
「天橋立は日本の真善美」
旅行ペンクラブ
フリーライター 団田 芳子
 
 いつだったか「目前に天橋立。まさに日本の真善美」と書き、「いくらなんでも大袈裟やないか」と編集長のチェックが入った。担当編集者は「日本三景ですよ。ここで使わなどこで使うんですか」とそのまま通してくれたのだが、真善美とは“人間の理想としての普遍妥当な価値”の意。ちょいと外れている。まことはこの度の、名松再生を願う人々の心をこそいう言葉。『真善美』を体現する会の発足、心より応援いたします。
 

 
わたしの絵も参加できて
旅行作家
イラストレーター いさか かつじ
 
 実行委員会の組織図を拝見して、いかに多くの人たちの心に「天橋立」があったのかを実感しました。「接ぎ木で再生」という記事にもうなずきました。皆さまの心の集まりに私の絵も参加できて、少しでも活動のエネルギーになるようでしたら描き始めていて良かったなと思っています。
2004年12月21日
 

 
「神への謝罪」
イラストレーター 成瀬 國晴
 
今年は阪神・淡路大震災から10年、広島被爆60年の節目の年にあたる。
天災、人災のちがいはあっても、人々の中にある思いは被災された人々への鎮魂と二度と起こってほしくないという願いだ。
>昨年から今年にかけて世界的な天変地異と呼ばれるものが多く起こっている。
猛暑、異常気象、連続台風、大津波、豪雨による土砂崩れ、ウイルス・・・・枚挙にいとまがない。
「地球が怒っている」と思う。
高度成長のなか心地よさばかりを求めて人間たちは思い上がったことばかりをやってきた。
自然破壊による開発、まきちらす公害・・・・・。
「あんたら、いつまでバカをやっているんだ」と光化学スモッグやオキシダントで警鐘を鳴らしだした地球。
山紫水明の国でペットボトルの水を買わなければならないことなどすべてが予兆として感じられたことなのに。
こんどの大津波で地球の軸がわずかだがズレたという。
こんなものいまの土木技術ではどうにもならない。
もう神の領域だ。
太陽を崇め自然に対して畏敬の念をもち、自らがアリ一匹であるような小さな存在であることを認識する謙虚な気持を人間はもたねばならない。
神々の怒りによって樹令300余年の名松193本が倒れた。
松のみならず古樹は神が宿るところだ。
自らの宿り場をこわしてでも神はおろかな人間にメッセージを送ってこられた。
「天橋立名松リバース」は、この神のことばを天橋立から世界に発信する人間としての謝罪を込めねばならない。
名松たちが形を変えて命をもっても神の宿だったことには変りはないのだから。
 

 
「天橋立ルネサンス」運動
日本の旅ペンクラブ 奥坊一広
 
 昨年、日本海を駆け抜けた台風23号が天橋立の樹齢300年以上の名松など193本の松をなぎ倒したと聞き、大変驚くと同時に日本三景の景観が損なわれることを心配しました。そういったなか、倒れた松の再利用を考え、松との共生を探る「天橋立名松リバース実行委員会」を立ち上げられ、非常にうれしく思っています。 これまで天橋立の松は高潮での塩害や豪雨による雨害、またマツクイムシによる松枯れなど、周期的に何百本の松を失い、その都度、市民の協力による後片付けや補植が行われてきたと聞きます。いってみれば天橋立の松は、地域に住む人たちや松にかかわる人たちの手で大事に守り続けてこられた歴史そのものといっていいのでしょう。
 その守り続けてこられた松は、倒れはしたもののモニュメントや家具として新しい命を吹き込む_。これはまさしく、松と人がかかわることでの「天橋立ルネサンス」運動です。
 

 
陶芸家 竹中 浩
 
 昨年の台風23号による天の橋立の松の損傷は心痛む出来事である。私の故郷小浜も共に若狭湾に臨み他所事とは思えません。いち早く地元の方々が立ち上がられし由深い敬意を表します。松・私達焼物造りには蒔材として重要なものである。特に植林をせずとも更新される自然の力には驚くべきものがあります。
 橋立に松も又その再成の力をだしてくれることと信じてやみません。
 

 
画家・俳優 片岡 鶴太郎
 
 “木は倒れても生きている!“
私はこの言葉に感銘をうけました。
なぜなら、それは自然から私たちへのメッセージだと感じたからです。
一日も早い復興、そして天橋立の名松が地元の皆様と共に歴史を刻み、年輪を重ねていかれることを心より祈っております。
 

 
「天の橋立の松に寄せて」
イラストレーター 垂水 眞子郎
 
 宮津の海は懐かしい。
神奈川県の茅ヶ崎で育った私にとって、海は文字通り母親のようなもの。
 そして太平洋と日本海という違いはあっても、海の水はぐるり地球を一周しているのだから、宮津の海に故郷の匂いを感じても不思議はないだろう。
 そして松である。
 大いなる大自然の気まぐれというのだろうか、天の橋立の存在感、ファンタスチックな風景は一度見たら忘れられない。
 今回、島村桂さんと不思議な出会いを取り持ってくれた松達にお礼を言いたいと思う。
 

 
参議院議員 福山 哲郎
 
画僧雪舟が水墨画に描いてから五百年余。
白砂青松の景勝、天の橋立の荘厳で優美な姿を見る度に、私は自然への畏怖の念と、郷土への誇りを感じます。

暴風雨や海面上昇など、忍び寄る地球温暖化の恐さを物語る193本の松。
その姿を語り継ぎ、新たな命を育む活動は、私達が見失った「本当の豊かさ」を取り戻すことに他なりません。

未来を見つめる実行委員会の皆様の活動に心から敬意を表し、私も全力で応援いたします。

 

 
人間国宝 中村 宗哲
 
未来を見つめる実行委員会の皆様の活動に心から敬意を表し、私も全力で応援いたします。
 

 
プロデューサー 木村 政雄氏
 
白い砂浜に青い松林。日本三景に数えられる美しい海岸線は、京都に生まれた私にとっての誇りでもありました。
ところが、不幸にして、昨年の台風によって多くの松が倒れ、心を痛めていたところ「松の再生は地域の再生」をうたって、天橋立名松リバース実行委員会が起ち上がったとか。
 「修景」という言葉があります。それは単に景色を修すばかりではなく、人の心をも修す意味も含まれるものだと思います。委員会の活動を通して、人々の心に元気が甦れば何よりですね。