| 享保元年(1716年) | 1才 | 摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)に生まれる。谷口氏。出自については不明 | |
| 享保20年(1735年) | 20才 | この頃までに郷里を去り、江戸に出る | ![]() |
| 元文 2年(1737年) | 22才 | 日本橋石町の早野巴人(夜半亭)に入門 | |
| 元文 3年(1738年) | 23才 | 俳号 宰町 を使用 | |
| 元文 4年(1738年) | 24才 | 俳号 宰鳥 を使用 | |
| 延享元年(1744年) | 29才 | 春、宇都宮にあって「自撰歳旦帖」を刊行 初めて 蕪村 号を用いる |
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| 宝暦元年(1751年) | 36才 | 木曽路を経て8月、京にのぼり、俳友毛越を頼る | |
| 宝暦 4年(1754年) | 39才 | 京を去り、丹後与謝地方に赴き、宮津見性寺に寄寓。以後3年間、丹後に滞在して、画作中心の生活を送る。この頃 四明、朝滄、嚢道人蕪村、魚君 などの号を用いる | |
| 宝暦 7年(1757年) | 42才 | 京に帰る | |
| 宝暦 9年(1759年) | 44才 | 沈南蘋の画風を学び、また画に 趙居 の落款を入れる | |
| 宝暦10年(1760年) | 45才 | この頃、名を 長庚、字を 春星とする また 与謝 氏を称する |
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| 宝暦13年(1763年) | 48才 | 東成謝春星 の使用例あり | |
| 明和元年(1764年) | 49才 | 謝長庚 の使用例あり 東成謝長庚の使用例あり |
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| 明和 2年(1765年) | 50才 | この夏頃から、春星 の落款を用いる | |
| 明和 3年(1766年) | 51才 | 秋、讃岐に赴く。琴平にも滞在 | |
| 明和 5年(1768年) | 53才 | 5月初めに帰京 | |
| 明和 7年(1770年) | 55才 | 夜半亭 二世を継承 | |
| 明和 8年(1771年) | 56才 | 謝春星 の使用例あり | |
| 安永 7年(1778年) | 63才 | 3月9日、舟で、伏見より大阪へ下り、網島に遊ぶ。同月22日帰京。夏頃から名を 謝寅 に変更 | |
| 天明 3年(1783年) | 68才 | 初冬より持病の胸痛に苦しみ、12月25日未明没す | |